言葉でスケッチ

オセアニアクルーズ日記

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 2018年が明けて間もない1月8日朝、かねて準備してきたピースボートのオセアニアクルーズに参加すべく、横浜港大桟橋に車で向かいました。クルーズ船はオーシャン・ドリーム3万5000トン。横浜を出港して約2か月、台湾のキールン(貴竜)→フィリピン セブ島→インドネシア バリ島→オーストラリア フリーマントル→パース→アデレード→メルボルン→タスマニア島→シドニー→ニュージーランド クライストチャーチ→ミルフォード・サウンド→オークランド→フランス領ニューカレドニア→ガダルカナル→ラバウルと、いくつもの港に寄港して3月4日に帰国するまでの日記を日を追って掲載します。
 
◎2018年1月8日 月曜日 曇〜雨/center>
6時前起床。いつものようにラジオのニュースを聴き、ラジオ体操をする。
6時55分、1階に下りて犬のジローに餌をやる。この子は2か月間の妻と私の不在に耐えられるだろうか。そればかりが心配だ。死んでしまうのではないかと、最悪の事態にまで思いは及ぶ。「すまんな」と頭を撫でてやる。
 賢いジローは、私たちが旅発つことをすでに感じ取っているかもしれない。
 9時に車を出すことを念頭に行動。荷物は、すでに宅配便で送ったものが2つ、今日持っていく分については昨夜までにつくり終えている。モスグリーンのカーディガン、ウエザーコート、帽子着用。
23キロのスーツケースを車に載せる。9時過ぎ、帰りに車を運転する長男を乗せ、妻の運転で横浜港大桟橋に向けて出発。
9時35分到着。妻と私が荷物とともに降りる。「行ってらっしゃい」と長男。しばしの別れだ。改めて長男に「ジローと家と、よろしく頼むね」と私。
「行ってきます」と妻。
船はオーシャンドリーム、3万5000トン。長いブリッジを歩いて乗船証とパスポートのチェックを受け、船内へ。船内に入るとすぐに大事なパスポートを担当者に預ける。
船室へ。4階の4017号室。4人部屋で、妻と妻の友人のOさんと私と、2か月間3人で暮らすキャビンだ。大きな窓がついていて、意外に明るくて広い。先着の荷物と持参した荷物を解き、整理。
 11時半、避難訓練。7階にある大ホール『ブロードウエイ』で、船内の緊急脱出に関するボートの仕様、ライフジャケットの装着について説明を受ける。ちなみに、乗客は千人、クルーは400人とのこと。大世帯だ。
1時から出港式がある9階デッキへ。何と、義姉夫婦が見送りに来てくれていた。デッキは大勢の乗客とクルーで賑わっている。興奮気味の笑顔笑顔笑顔。
シャンパン、ジュースが配られ、ピースボートの川崎代表の挨拶。乾杯。ノーベル平和賞を受賞したIcanのスタッフも来ている。船体上部に「ICAN」と大きく書かれている。さすがピースボートだ。ノーベル平和賞を受賞したICANの核廃絶、反原発のメッセージ。音楽。乾杯。大勢の乗客がデッキに集う。妻が義姉夫婦に向けてテープを投げるがはるか手前で落ちてしまう。
ここでハプニング。1時出航予定だったのが、乗船早々に救急患者が出て出港が45分遅れるとのこと。拍子抜け。せっかくの見送りの人々との別れのシーンがねェ。仕方なくデッキを離れる。
9階のレストランでハンバーガー、野菜サラダ、コーヒーの昼食。
 3時、船内案内を受けるため、8階のホール『スターライト』へ。いくつかのグループに分かれて船内をめぐる。レストラン、居酒屋「なみ平(なみへい)」、バー、カサブランカ、ピアノバー、バイーヤ、朝・昼・夕食は4階のレストランまたは波平のどちらで食べてもいいという。後で知ったことだが、一日4食、5食食べる人がいるというのには驚いた。大食漢の私も敵わない。
 すでにマージャンや囲碁・将棋を始めているグループもある。高齢者が多いが、中には20代の学生とおぼしき男女の姿もある。スタッフは20代からさまざまな世代、さまざまな国籍の人がいるが、おおむね若い。ちなみにリピーターが80%、乗客の平均年齢は過去最高で70歳を超えているというから凄い。
3時半帰室。この頃から東京湾を出たらしく船が揺れはじめる。船首に砕ける波のゴ、ゴ、ゴという鈍い音が静かな部屋に聞こえる。妻とOさんはベッドに横たわっている。
 5時15分、乗船カードのオレンジ組が「船内生活に関するレクチャー」を聞きに7階のホール、ブロードウエイへ。新聞のこと、テレビのこと、パソコン利用のこと、8階インフォメーションのこと。ラジオ体掻、ヨガ教室、サルサ教室、水彩画、太極拳、囲碁、将棋、マージャン、ビリヤード、ダンス、テニス、ゴルフ、プール、ジャグジー等々の利用について。20分ほど聞いて帰室。この頃から船の揺れが激しくなる。立って歩こうとすると、体を左右に振られてよろめくことしきり。ローリングが激しく、右弦に沈み、左舷に沈む。このときの不快感が何ともいえない。ジェットコースターの上昇・下降のときの感覚そのままだ。船内放送で、トラベルミンを無料で配りますとのこと。
7時半、4階レストランへ。500席はほぼ満員状態。男性数人がいる席に腰を下ろす。メニューは、オードブルとしてマグロのたたきほか、スープ、チキンカツ、デザートがチーズケーキ、コーヒーほか。
私の向かい側に座っている男性は私と同世代か、大柄でよくしゃべる。どこぞの土木事務所に勤めていたというが、土健屋のおやじさんかもしれない。
 工事で完製した構造物の耐用年数は10年、20年というが、「適当に工事してきた」という。それでトンネルの天井が落下して犠牲者が出たとすれば、遺憾この上ない話だ。
 彼は「持ち込み禁止の酒をスーツケース半分詰めてきた。子供が大学を卒業した途端、妻はピアノまで持って逃げ出して行って、慰謝料200万円を取られた」という。そこまで思い詰めていた女性に同情を禁じ得ない。
 地上のさまざまなしがらみの中で生活していた人が、全く別世界の船上の人になったとき、心はニュートラルになり、日々心に堆積した思いをとめどなく吐き出す。この旅の途上、彼に限らず、私はそういう人の話を何度も聞いた。
 この男性と、私も訪れたことのある彼の住む町はいい所だ、子供とともに海水浴をしていくつかのホテルに泊ったことがあるとか、ビール、ハイボールを飲みながら調子に乗って話していたのが後でひどいことになった。ほかに自称陶芸家とも話を交わした。
話を切り上げて、部屋に戻ってからが大変だった。横揺れ(ローリング)、縦揺れ(ピッチング)はさらに激しくなり、波が船体にぶつかる音がガーンガーンと聞こえる。前からの波がぶつかり、その上に船が乗り上げ、揺れる揺れる揺れる。船体のきしみが激しい。クローゼットの扉がガチャガチャ鳴る。
私は船で暮らした経験も乏しく、3万5000トンもある客船に乗ったことは初めてなので、まあ、そんなに揺れないだろうとタカをくくっていた。しかしそれは大きな誤りだった。ナマビール2杯、ハイボール2杯もきいた。私のベッドの枕もとにある机の椅子に掛けて、次第に気分が悪くなってくるのに耐えていたが、それも限界だった。トイレに駆け込み、吐いた。さっき食べた料理と飲んだ酒、コーヒーを全部吐いた。2度トイレに駆け込んでベッドに仰向けに寝る。心配して妻とOさんの掛けてくれる言葉には、「大丈夫、大丈夫」と答えていたが、気分は悪化の一途をたどる。まるで震度5の地震が何時間も続いているようなのだ。あまりの気分の悪さにすっかり弱気になって、神戸に着いたら一人、新幹線で横浜に帰ろうかと真剣に考えた。古代から木造船で何年も航海していた船乗りたちの頑健な心と身体には敬服するばかりだ。
◎1月9日火曜日雨/center> 浅い眠りから目覚めても嵐はおさまっていなかった。朝5時過ぎ、相変わらず船は前後左右に揺れ続け、波が船体に激しくぶつかっている。吐気はおさまっているが、倦怠感が強く、起きて何かをしようという気になれない。
6時、妻とOさんはヨガ教室に出かけた。二人が部屋を出た後、不意に嘔吐感に襲われてトイレで吐いたが、前夜吐いたときほどの苦痛は感じなかった。
7時、艦内放送で、「レセプションよりご案内申し上げます。悪天候につき、オープンデッキは利用できません。船が揺れておりますので、手すりをご利用になり、転倒、ドアに手を挟まないようご注意ください」とのこと。
吐いた後、体調は少しずつ落ち着く。沈みきっていた気分が少しずつ明るくなっていく。神戸下船のことは嘔吐する際にトイレに流した。ここに至るまでの経過を思えば、おいそれと下船するわけにもいかないだろうという分別が働く。朝食はキャンセル。船の揺れは続いているが、少しずつ元気を回復。パソコン、デイジー図書読書機プレクストークのバッテリーチャージャーを日本仕様の100v変換器のコンセントにセットスル。
 10時、妻とOさんはサルサ教室に出かけた。ここでようやくシャワー浴をしようという元気が湧いてきて、頭髪と体を洗う。シャワーを終えると、気分はさらに明るくなった。吐き気もおさまっていた。
 12時からの昼食はどうやら食べられそうなので、三人でレストランへ。タケノコ御飯に生野菜、和風ハンバーグ、温野菜。コーヒー。食欲が回復すればもう大丈夫だ。
 2時前、神戸港入港。私たちは8階のラウンジの窓越しに様子を見ていたが、昨夜の大嵐の痕跡だろう、窓ガラスが潮で汚れていて写真が撮れる状態ではないと妻が言う。海面から20メートル以上ある8階の窓ガラスまで波が洗っていたことになる。大シケだ。3万5000トンの船体が木の葉のように揺れるという表現は、決して大げさではなかった。
桟橋に接岸し、新たな乗客が大勢乗船してくる。これで予約した乗客千人全員が乗船したということか。
3時〜ティータイム。9階のレストランへ。満員。ケーキに紅茶を楽しむ。賑やかだ。
午後6時45分から出航式。8、9階のデッキでは横浜の出港式と同じセレモニー。港は暗くなっていたが、港と船のライトが煌々と美しい。音楽が賑やか。川崎代表ほかのスピーチごとに歓声、また歓声。シャンペン、ジュースが配られる。見送りの人は40、50人くらいか。セレモニーの後汽笛が3度鳴り、オーシャンドリームはゆっくり桟橋を離れる。以後、3月4日横浜に帰港するまで船が日本の港に着岸することはない。
 4階レストランで夕食。和食。たちうおの煮つけ、サラダ、切り干し大根の煮物、冷奴、スープ、コーヒー、デザートはあんの入ったカステラ。同席したのは神戸から乗り込んできた夫婦一組と女性3人。私の妻も含めて、女性たちは異口同音に家事労働から解放されることへの喜びを語る。
 食事を終えて部屋に戻ると、また船の揺れが強くなる。ゴンゴンと波が船体に当たる音。前夜の船酔いに懲りて酔い止めのトラベルミンを服用。次の寄港地は台湾のキールン港で、もう日本の港で下船することはできない。
船は揺れ続けていたがトラベルミンの効能は絶大で、この夜船酔い症状に見舞われることはなかった。

沖 縄 と 私

◇私の沖縄への思いと、1945年の沖縄戦についての考察です。

障害者は不幸をつくることしかできないか


 7月26日深夜に発生した相模原市の津久井やまゆり園の入居障害者大量殺傷事件。この残忍冷酷な犯行を決して許してはならない。「障害者に安楽死を」という植松聖という男の思想を断じて受け入れることはできない。
 この男の犯行を食い止めることはできなかったか、警備体制はどうだったかという議論は理解できるが、中東、EU、アメリカほかで頻発しているテロ同様、このような社会の片隅に潜む犯罪者の行為を、警察当局が事前に察知して食い止めることは至難のことだ。この犯人は、周到に計画を立て、その計画に従って19人の人々を殺害し、加えて26人を殺害しようとして重傷を負わせた。大麻を吸っていた可能性があるというが、せいぜい精神安定剤として用いたのだろう。大麻によって生ずる幻覚に拠る犯行ということではあるまい。
 犯人の植松聖が衆議院議長宛書いたという手紙の中に、「障害者は不幸をつくることしかできない」という下りがある。偏狭で差別意識に満ちた言葉だ。私も含めて、障害者本人も、かかわっている家族も、友人知人も、施設の職員も、それぞれが幸せを感じ、感じたことは、さまざまな生活の場面場面であり、あったはずだ。幸せというのは抽象的な言葉で、これが堅牢なビルのような、数十年にわたって持続するものとは全く違う、はかなく移ろいやすいもので、そうであるがゆえに尊くかけがえのないものなのだが、この植松という男は、「幸せ」とか「幸福」という言葉がもつ、豊かで多様で、うつろいやすくはかなくもある、そうであるがゆえに一層かけがえのない、「幸せ」を味わったことがないのだろうか。至福の一時を過ごしたことがないのだろうか。どうやら植松のいう「幸せ」は、せいぜい絵に描いた餅で、煮ても焼いても食えない餅だ。何と心貧しく愚かな男であることか。
 そういう愚か者が、生硬な優生思想にとりつかれ、偏狭な美意識をもって「ビューティフル・ジャパン」などと書く。何が「美しい日本」だ。
 そんな政治的スローガンをふれ回っている政治家がまき散らす毒におかされた26歳の男の凶行を受けて、二度とこの世に戻ってはこれない人々の生活を思う。この人々は、おいしいものを食べたとき、おいしいという意思表示をしなかっただろうか。一口食べてもう二口三口食べるということは、おいしいという意思表示を含んではいないか。
 入浴して新しい衣服に着替えたとき、彼女は、彼は気持よかったのではないか。やさしく響く歌声、ピアノやバイオリンの音色に聞き入ったことはないだろうか。朝目覚めて、耳に届く鳥のさえずりに、施設の人々が動く様子に、今日も自分は独りぽっちではないと安堵しなかっただろうか。それが、そのくり返しが幸せを感じるということなのだ。
 ナチスドイツでは、1939年から、T4作戦という安楽死計画を強行した。精神障害者、知的障害者、遺伝病発症者、難病者、重度の身体障害者を対象に、民族の血を劣化させる劣等分子の殲滅と断種を目的に、大量虐殺計画を強行した。障害を負った人々をトラックの荷台に据えたボックスにいざない、お茶とお菓子を与え、ボックスの中にトラックの排気ガスを注入して殺害したほか、さまざまな方法でこの作戦によって殺害された人は7万人〜20万人に及ぶという。
 植松聖が唱える思想は、このナチスの、ゲルマン民族・アーリア人の優位、血の純潔を守るために為した大量虐殺の思想に通じている。これは許される思想ではない。現在の日本に、まがりなりにも生きているヒューマニスムや生存権をはじめとする基本的人権の保障、民主主義といったものを根こそぎ圧殺してしまおうという思想だ。
 昔、三島由紀夫の4部作『豊饒の海』の最終巻、『天人五衰』という小説を読んだことがある。この小説に自殺未遂の結果、全盲に陥った青年「透(とうる)」と、精神障害の少女「絹江」(きぬえ)が出てくる。ここで三島は、彼の美意識にとって受け入れ難い、障害を負った二人を、完膚なきまでにいたぶり、笑いものにする。そして、この二人の存在と豊醸の海四部作を通してのヒロイン、聡子(さとこ)が認知症になり、過去を忘れてしまったこととをもって、人生の無意味と世界の終わりの象徴として描いている。
 そうではない。そうであってはならないのだ。三島のようなペシミストが偏狭な美意識で描ききれるほど世界は一元一様なものではなく、多元的で多様な、70億を超える人間が一生懸命生きている世界なのだ。知的障害であろうが、精神障害であろうが、目が見えなかろうが、耳が聞こえなかろうが、手足が不自由だろうが、人工透析を受けていようが、肌の色が黒かろうが白かろうが、人々はみんな一生懸命生きているし、それぞれの仕方で幸福を享受しているということを、植松という優生思想にとりつかれた男に、この時代に生きるすべての人々に理解してほしいと痛切に思う。

▽以下に植松聖の衆議院議長宛の手紙のtxtコピー版をはり付けます。


▽衆議院議長大島理森様
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為(ため)と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
重複障害者に対する命のあり方は未(いま)だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛(つら)い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。
衆議院議長大島理森様、どうか愛する日本国、全人類の為にお力添え頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。
文責 植松 聖
作戦内容
職員の少ない夜勤に決行致します。重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。見守り職員は結束バンドで見動き、外部との連絡をとれなくします。職員は絶体に傷つけず、速やかに作戦を実行します。
2つの園260名を抹殺した後は自首します。作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前(伊黒崇)本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。美容整形による一般社会への擬態。金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。
ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します。
日本国と世界平和の為に、何卒(なにとぞ)よろしくお願い致します。想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
植松 聖
 エッセイへ  ▽小説へ  △メッセージへ

戦争と人間

 `五味川純平さんの小説『戦争と人間』に深い感動を覚えました。悲惨な太平洋戦争と平和への熱い思い。

ウ グ イ ス

ウグイスの声に幸せを感じる女性の話

野火・・俘虜記

塚本晋也監督・主演の映画『野火』の紹介を受けて、 大岡昇平が書いた原作小説を読みました

平和を守る意思を強くもって

心より平和を望む私の、戦争と平和についての考察です

インフレとマネーゲーム

私たちの生活とかけ離れたところで日々行われているマネーゲームが、私たちの生活を左右するのです。

ウイーン・プラハ・ベルリン、音楽の旅

2012年3月、私は中欧を旅してきました。

雨 の 朝

風雨の強い朝の出勤は大変です。

私の仕事

私の仕事のご紹介です。

EU危機と日本

 EU危機は対岸の火事ではない。どうなる日本、私たちの暮らし

求 心 力

 我が家に家族が一人増えました。

ふつうのピアニストとして

 辻井伸行さんは、視覚障害者である前にピアニストですね。

夢、光あふれる世界へ!

 私たちの夢は遠くない将来叶えられるかもしれない。いや、きっと叶えられる。その日が訪れることを信じたい。

鳥山回廊

 私は、生きて再び歩ける喜びを味わいつつ、冬の回廊を行く。

 私も、来年夏にはヒイラギ南天のように、生きる力に満ちた命としてありたいと思う。

青春の歌

 6月6日、東京オペラシティで、青春の歌を聴きました。

ひいらぎ南天

5月4日、私は玄関先のヒイラギ南天の木を切りはじめました。

『硫黄島からの手紙』

1月6日、映画『硫黄島からの手紙』を観てきました。

おっと危ない

秋の夕暮れ、職場を後にした私が出会った男は…。

昼 食

夏休み、長男と私の昼食は。

初任者研修

花々が咲き揃った横浜公園を歩いて、私は研修会場の県庁舎に向かいました。

春の歌

3月のある日、なつかしい歌声を聞きながら交わした少年との話は?

豪雪とバブルの塔

新潟、南魚沼に住む友人に豪雪の様子を尋ねました。

ミューズの子

今年はモーツアルトの生誕250周年の年。最近のモーツアルトブームに寄せて。

◆若い人たちへ

師走、私は中学校で若い人たちに向けて話をさせていただきました。

◆凝ってますね

ボランティアフェスティバルの日、私たちは区民の皆さんにマッサージサービスをさせていただきました。

◆バッタ

いつも駅で皆さんにお世話になっている私ですが、この前、ちょっとだけいいことをしました。

◆ネクタイ

中学校に入学したばかりの娘は、まだ自分でネクタイが結べません。

◆更衣室のバス

久しぶりに横浜ラポールのプールへ泳ぎに行きました。その更衣室で聞こえたものは。

◆地神ハデスへ、海神ポセイドンへ

台風、洪水、中越地震と天災の多かった2004年、年も押し詰まってまた。

◆頭上のバトル

私の街にはウグイスがいます。彼は、春の訪れとともにさえずりはじめます。

◆マッチ売りの少女

アンデルセンの童話『マッチ売りの少女』は、19世紀後半に書かれた。それから130年を経た今、子供たちが置かれている状況は。

小  説

◆銀河

目が不自由な青年の一年にわたる恋の物語 (中編小説)

◆洋の夏休み

洋は夏休み、とある山深い温泉郷にマッサージのアルバイトに出かけた。(中編小説)

◆海と摩天楼

東京・横浜を舞台に、学究と政治の世界にくり広げられる愛と野望の物語。(長編ミステリー小説)

◆白鳥たちは夜に歌う

癌病棟に集う人々の愛と死の物語。連載第1〜8回(長編小説)

◆冬のバラ

祥子の家の庭には、四季咲きのバラがあった。若い専業主婦の惑いと行動の填末。(短編小説)

◆真実

職場でハラスメントを受けていた美咲は、とある法律事務所に相談に赴いた。しかし…。(短編小説)

春夏秋冬

 一人の入居者の目を通して描いた特別養護老人ホーム「楽々園」の春夏秋冬。(長編小説)

メッセージ

あなたのやさしさが、私たちに安心と元気を与えてくれます!

◆かけがえのない言葉

イマジネーションとクリエーションのツールとしての言葉。視覚障害者にとって、言葉はかけがえのないものです。

◆心のバリアフリー化を進めよう

街のバリアフリー化が進む中で、いちばん大切なのは、街に住む人々の心のバリアフリー化です。


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